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錦帯橋を世界文化遺産に推す会

事務所 〒740-0081 山口県岩国市横山2丁目7-3 公益財団法人 吉川報效会内

TEL.0827-41-1010

会長

錦帯橋世界文化遺産の夢を実現するために

錦帯橋はわたくしたち岩国市民が世界に誇る木造のアーチ橋です。創建されて約340年間、岩国の伝統文化を象徴する資産として保護され、市民の宝として継承されてきました。  わたくしたちは平成26年3月、岩国市内の50に余る団体や企業の支援をいただき、国の名勝錦帯橋の世界遺産登録を目指す市民有志の会「錦帯橋を世界遺産に推す会」を立ち上げました。これは、すでに世界遺産を目指し署名活動等を展開してきた「世界遺産にする会」を発展的に解消し、より多くの市民の方々のご賛同と熱意を集結する「推す会」としてスタートした組織であります。
 わたくしたちは、錦帯橋の世界遺産登録に向け積極的に取り組まれるよう、山口県知事・山口県教育長、そして岩国市長に要望書を提出しました。その要望に対し、快くご賛同を賜り、積極的に取り組むとのご回答をいただきました。今後、本格的な取り組みが行われるものと期待しているところです。  世界に類例のない唯一の木造アーチ橋・錦帯橋は、創建時の原型を保ちながら長い間架け替えられてきました。その優れた木組みの技術を後世に引き継ぐことはわたくしたちの責務であります。  世界遺産数は、世界に1021件となり新規登録のハードルは高くなりつつあります。しかし、錦帯橋は世界唯一の特殊な木造長スパンアーチ橋と言う人類の傑作として世界遺産となる資格を有しています。その登竜門である世界遺産暫定リストに可及的すみやかに掲載されることが必須です。  そのため多くの市民のみなさまの強力なご協力ご支援をいただきながら、ご一緒に錦帯橋の世界遺産化を推し進めて参りたいと存じます。なにとぞ、よろしくお願いいたします。

 

錦帯橋の歴史

 

周防岩国は関が原戦後の領地分配で吉川広家が山陰の月山富田城から移封された辺境地で、当時は錦川が頻繁に洪水を起こして沼、浅瀬、葦の広がる原野でした。 防御優先で敢えて3方向川に囲まれた横山の地に初代岩国藩主吉川広家は城郭を構築する都市計画を立て、 錦川の対岸に中下級武士の屋敷、商人の町屋の地域を設け、錦川を渡る橋は城下町の幹線道路に接続する計画でした。しかし、 当時の技術で建築した橋は尽く流失した。約60年以上も創意工夫を凝らして岩国藩3代藩主 吉川広嘉が河床下に3段の石畳を敷き川の両岸に強固な堤防を築き、そして川に柱を建てない独特のアーチ構造を持つ錦帯橋を1673年創建しました。 残念ながら1950年のキジヤ台風で橋脚土台が3mも洗掘されて大きな穴が出来て橋脚が崩落したが、独特のアーチ構造は現在の橋梁専門家・大学教授が絶賛しています。 翌年のルース台風では鉄道橋以外、岩国市内の橋は全て崩落・流失した。 江戸時代、洪水でも流されない錦帯橋は有名だったが図面どおりに造ってもアーチ構造にならない。実際、某藩が図面を持ち帰ったとの記録がある。 つまり石や鉄骨と違い、木材は重みや乾燥で沈むので、最後に嵌めるキーストーンに該当する天辺の大棟木は、少し長めにした。この長さが 秘伝中の秘伝で、現在でも棟梁の口伝である。