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- 大正11年3月8日(1922年)史跡名勝天然記念物保存法により、錦帯橋およびその上下流各60間が名勝指定を受ける。
- 昭和18年8月24日(1943年) 名勝指定区域の追加指定。上流350間(大内迫)、下流230間(臥竜橋)が新たな範囲である。
- 昭和25年5月30日(1950年) 文化財保護法により「名勝」指定を受ける。
その年9月、278年間不落を誇った橋脚はキジヤ台風で流失した。
当時、錦帯橋は国道から市道になっていたが国(建設省)の指導で創建時の橋脚から
鉄道橋と同じ鉄筋コンクリートの井筒構造で再建した。名勝指定は継続している
「引用」
文化庁データベース
昭和初期より、錦帯橋を国宝に推挙する動きがあり、昭和25年春には国会で審議された。
毎日新聞では観光地100選の投票を行っており大いに盛り上がっていた。
その最中の昭和25年秋、錦帯橋がキジヤ台風で276年ぶりに流失して幻の国宝騒ぎであった。
いくら終戦後の混乱があったとはいえ、創建時の言い伝え通り洗掘を起こさせない河床の手入れをしていればと忸怩たる思いがある。
戦争で無計画な山林伐採、川砂利の採取で錦川が荒廃しており、翌年の昭和26年、ルース台風では岩国市内の鉄道橋以外の全ての橋が崩落・流失した。