- ・木造橋及び河川を中心に両岸の町並み等文化的景観の保全
- ・橋梁は景観として優秀な価値は認めるが,材料の真実性が低い点を配慮して,技術の継承及び技術者の育成を含め,真実性総体に関する証明が必要である
- ・登録基準で土地利用の観点
- ・創建時の橋脚や橋げた等部材が残っていないので遺跡ではないと考えている
注)
現在、岩国市役所錦帯橋課を中心にこれを打開する活動を進めています
錦帯橋は創建事より木造の架橋は20〜30年おきに架け替えており創建時の橋げた部材はありません。
しかし、河床地下には上流・下流60間に渡り無数の松の杭を埋め込み、その上に3層の石畳・石積みがあり、これが錦帯橋を支えている。
第1層の石畳は川岸から見えますが、その下はみえないので分かり難いですが、錦帯橋を支えているのは河床下です。
残念な事に、戦後復旧の砂利採取で河床が緩み、1950年のキジヤ台風のとき橋脚下がめくれ上がり、橋脚内部の砂利が流失して空洞になり、
4橋脚のうち流れが急な中央の2橋脚は崩れました。
1953年の補修では河床の補強、橋脚内部を鉄筋コンクリートにして砂利のように流れ出ないようにしています。
橋脚に使われていた石垣はそのまま外壁に使っているので、創建時の石材と河床下の石材・松の杭は、大部分創建時のままです。
余談ですが、キジヤ台風の翌年1951年10月発生したルース台風の洪水は更に2m水位が高く、錦帯橋の下流でキジや台風では損害が無かった
近代工法の臥龍橋、大正橋、愛宕橋、門前橋、寿橋などが尽く落橋,流失しました。