沼・干潟・川跡・遠浅海の開墾

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概要

 吉川広家が周防岩国で開府した慶長5年(1600年)の検見帳によると周防の禄高は3万石であったが、 20年後の寛永年間の熊野帳では6万石になっている。領国の拡張は無いので未利用地の開墾である。 吉川家家臣の家禄は平均20石で約1500名に支給されていたので20年後にやっと余裕が出てきた。 更に、岩国川川尻、柳井などで大規模な海面干拓事業を行い、岩国地区で見ると開府当時3200石であり、 熊野帳では7200石になり、藩制末期には16000石に増加した。 その結果、幕末には米作で8万石、塩田・和紙の販売を加えて実質12万石と豊かな土地になった。



  • 1600年初期の錦見・川西・牛ノ谷
    錦川が複数の川筋で流れ、平地は川が運んだ土砂で湿地帯・沼・中州などになっていた。
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  • 1600年初期の麻里布
    現在、岩国市の中心である麻里布は、1600年初期は海の中である。
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  • 1600年初期の岩国地区
    現在岩国市中心部の半分くらいが、川の中か海の中にあった。
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  • 干拓後の岩国地区
    岩国駅周辺が中心街で、その海側平地には工場群がある。 中津の海側平地には現在、米軍基地・海上自衛隊基地・岩国錦帯橋空港がある。 尾津のJRより北側には大規模shoppingセンターと住宅街があり、南側は今でも蓮田が広がる。 これらは全て1600年当時、海であった。
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参考文献

岩国市史

岩国徴古館 岩国市史編纂所 編集
岩国市 昭和32年(1957年)6月 発行(非売品)
発起人  第三代岩国市長 津田弥吉
発行者  当時の岩国市長 土肥京一
編集者  瀬川秀雄(文学博士)、桂、村上、香川


注 岩国市史は現在でも岩国徴古館 岩国市史編纂所が編集・発行している。参考にした岩国市史は昭和32年発行のもので、 岩国市の歴史は「岩国市史」以上に詳しいものはない。 本出版物は行政機関が編集したもので、岩国市の礎を築いた吉川家の歴史や行政を後世に伝えており、岩国市民への 公告の意味があり、また著作権の記載がなく非売品である。発効日から50年を経過しており原文を掲示します

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