岩国市史
沼・干潟・川跡・遠浅海の開墾
岩国徴古館 岩国市史編纂所 昭和32年(1957年) 編集
第二部 藩政時代の岩国
第二編 経済
第三章 農耕地の開拓
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第五節 海土路・平田地区の干拓
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1600年頃の海土路・平田地区
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1627年の海土路・平田地区
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1650年頃の海土路・平田地区
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1680年頃の海土路・平田地区
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1800年頃の海土路・平田地区
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1860年前後の海土路・平田地区
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現在の海土路・平田地区
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平田・海土路の平地は、大部分吉川氏入封後の干拓地である。
岩国藩初期の開作は、平田地区では潮田開、海土路地区は目加田開、仁田開、
筏開で、寛文(1660年)以前である。
目加田開は、目加田次郎右衛門が慶安年間(1648〜1651年)に開発した。
有福開は、有福道的が寛文〜元禄初期(1661〜1688年)頃に開発した。
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平田地区の森本屋開と、海土路の麻生田百姓開は、寛政・文化(1789〜1817年)頃である。
長十開・大仲開・静間開・郷ヶ崎塩浜は文化(1804)年から幕末にかけて開発された。
明治二年(1869年)、天地川を小升開に通し、その川跡を干拓して天地潟新開として十町分広げた。
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