錦帯石垣敷石聞書
昭和初期の穴太積み職人昭和九年(1934年)十月
要旨
川西在住 栗林源蔵氏が古来より伝わる錦帯橋の石垣・敷石の知識を1934年まとめた。 穴太式石積の技術を継承している職人である。
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穴太積み
単ページ 穴太積み
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表紙
単ページ 表紙
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序論
単ページ 1
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湯浅七右衛門は士分の石積み役人3名の手伝いであった。橋脚台を丈夫に作っても敷石が流失するので近江穴太衆で要害の築き方、大河敷石の方法を
習得してきた。穴太衆のアノオは士分でハグチはその使用人である。
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穴太衆は石垣の堅固さを本分にするため、表面の装うのみは使わない。穴太式の石垣は材料の石材を多く使う割りに坪数が上がらず高くつくので
廃れてきた。
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穴太方石垣の特徴
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単ページ 5
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穴太方石垣と、広島県山県郡地方の石垣、ケンチ石の石垣の比較
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石垣表面の石の配置
水中の石垣は下流から上流に向かって石を据える。、水流に逆らわない用に前下がりで据え、石の角に水流の圧が集中して動かないように上流側は平らで丸みを帯びた石で 下流側は下流側の石の上におく。(多分、魚のうろこのように水流で全体が締まる)
敷石が定まると隣石の接触がずれない様に隙間に生の松杭を打ち込む。単ページ 8
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