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6 近世以降の橋


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 アーチ構造は紀元前30世紀頃にメソポタミアで尖った形のアーチが最初作られ、それが円形に進化したとされる。 アーチが安定した構造であることは古くから知られていた。 紀元前1世紀頃にはその技術が古代ローマに伝わり石のアーチ橋が多数架けられるようになり、一部は現在も残っている。 日本では江戸時代初期の眼鏡橋として知られている。日本の橋梁は大部分、木材で作られており明治以降これをコンクリートや鋼鉄材に置き換え 、耐用年数が木材の約20年から約60年に延びた。欧米では産業革命以降に鋼鉄橋を造り始め、100年以上経過した橋梁が残っている。 コンクリート・鋼鉄材橋の建設年度別数を示す。日本では戦後の高度成長期に多く造られ現在、約70万橋ある。
(国土交通省平成25年度調査結果を抜粋)


アーチ橋は、上に凸な弓なりの構造体を用いて荷重を圧縮応力だけで支える。上からの力が底辺両支点で重力方向と水平方向に変換される。 部材には圧縮力しかかからないので、柱で垂直方向に支えているのと同じ状態である。 最新の部材である鋼鉄材を使ったアーチ構造の最大スパンは500mを超える。また吊り橋はスパンが1000mを超える。 石材や木材を使っていた400年前はスパン数10mに苦しんでおり、近世の技術進歩は著しい。

最近建造された実用的で綺麗な橋の一部を紹介する。
戦国時代と違い、時代・技術背景が大きく変わった。



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